2015/01/09

【雑談】ひとり舞台を演じることについて

あざりバージンが終わりまして

先日あざりんとしての処女舞台が終わりました。Eggman tokyo eastのスタッフさん、共演者の方々、来てくださったお客さん、ありがとうございました。
僕の大好きな尊敬する先輩友だち、くにさん@fafahohohoyuzen)が見に来てくれて、くっそ緊張した。動機息切れめまいが半端じゃなかった。しかもくにさんが作った曲をカバーとして披露するという愚行に走ってしまい、顔から火が出るほど恥ずかしかった。しかしひとまず処女膜やぶることができたので、次からはすぐに濡れてすっと入っていくことでしょう。よかったよかった。

さて、標題の件について

ひとりの舞台って実はこれが初めてだったんですね。(DJとかは一人でやるけど、まああれは一種のセレクターなので本件については対象外として考える。)
その日の衣装からセットリスト音作り歌い方曲間表情MC息づかい照明、細分化したらきりがないくらいステージを作り上げる要素はたくさんあって、初舞台とは言え臆することなく、綿密に計画をたてて臨んだつもりだったんだけれども、やはり、慣れてないわ面食らった思いっきり。自分でイメージしていたものと違う感じなっているのが、俯瞰で見えていてもそれをリアルタイムで軌道修正することが出来なかた。ちゃんと別レイヤーでステージ上の自分を感じれているのだけれど、それに対応出来ず焦ってギターを握る手が震えて歌詞が飛んでてんやわんやでした。
習熟度を上げていけばどうにかなる事案はここでは置いておいて、特に重要だと思ったことを記していく。

ステージ上の自分は誰か。キャラ設定を明確に

戯言あざりは以前の記事でも紹介した通り、国家転覆を掲げていたりするから戦隊もので考えると悪役側の存在である。バイキンマンであり、ドロンジョであり、ショッカーなのだ。簡単に言えば、善ないし正義を阻止する役回りをする(演じる)ことが悪役の使命である。やることをとってもシンプルだ。ただ、しっかり考えなければいけないポイントとして、それをエンターテイメントとして消化してもらえるかどうか、ということがある。果たして悪者をそのまま提示しただけで消費する側は楽しむことができるのか。きっとそこには悪のエッセンスだけでない、何かを合成していく必要があるだろう。戦隊ものの特撮だってプロレスだって、悪というエンタメスタイルはすでに疲弊しきっているように感じる。今までにない何かを生み出していくことを意識したときに、△△×◯◯という新たな組み合わせを考察していくことは必要不可欠だ。また、ステージの上にいる人間がなんなのか、明確に組み立てていった方が、見る側にとっても親切である。演奏しているとき、MCのとき、退場するとき、全てのシーンを細分化して、キャラクターの振り分けをしっかりと定義していきたい。先日のライブでは戯言あざりと徳本和広がグラデーションした中間色的になっていたので、そこは明確にしていきたい。混ぜるならまぜるで比率は何対何なのか。そこまで作り込んでいこう。一つ一つがものづくりだ、手作りである。


フィードバック系を維持しよう、つまり人に頼ろう

自分だけでは見えないこと感じれないことがたくさんある。というよりか自分だけで認識出来るものなどこの世にほとんどないはずだ。他者によって自分を認識していく他手段はないのだろう。闇雲に進み続けるのであれば、一人でもがき続ければよいが、そういうわけにはいかない。出来るだけ速く正確に進みたい。フィードバックシステムは常に維持していくのが吉だろう。今回はくにさんがきてくれたからとても有意義な意見を聞けた。ありがとうございました。フィードバック系に組み込んでいく増幅回路は、出来るだけ自分と違う機能だといい。そしてものづくりに真剣な人であるということが重要だ。そして何よりライブハウスで行うのであれば、何よりもPAさん他スタッフさんの意見もとても重要だ。今回はギターの音作りについてご意見を頂いた。どこを改善していけば良いのか、これを聞くのと聞かないのでは雲泥の差である。すぐに自分にフィードバックをかけていく。



処女舞台ということもあってかとても刺激的で学びの多い時間であった。これも何回もやりまくってるとガバガバになって不感症になっていってしまうのだろうか。それだけは気をつけたい。村上龍のエッセイに「医学的に異常なニンフォマニア以外、誰とでもやるような女は不感症が多い。」という一文があったのを思い出した。まあ、女じゃないけど。いつまでも処女の気持ちで、楽しんでいきたいと思う。


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