2014/12/20

【雑談】生ものを作り込んでいく

舞台を見に行ってきまして、それです


東京AZAЯASHI団「35丁目にも奇蹟」のイベント公演を見に銀座みゆき館劇場まで足を運びました。基本的には友だちが出る舞台しか見に行かなくって、お芝居に限らずお笑い紙芝居バレエ全部合わせても数十回、その程度の知見から言うのも大変恐縮なんだけれどもとっても面白かった。やはりライブでしか感じられない演者の発する感情エネルギーは、ある。それはゼンハイザーのヘッドホンだろうがBOSEのスピーカーだろうが4Kの液晶テレビだろうが表現しきれない不可視なもので、これの衝撃というのはすごいものがある。それは弾き語りのステージでもお芝居でも、それぞれの味がある。とても面白い。
では、ここからお芝居超ド素人評論家として、お芝居の良さってなんだろう論を展開していきたい。いってきます。

お芝居というものは、他のカテゴリのライブと比較してよりパッケージング感が強いように思う。それは、脚本からはじまり照明音響演出、舞台の設営からなんやらテクニカルなことは一切わからないけれど、そのお芝居を構成する要素は非常に細かいパーツに分解され、ひとつずつ組み立てていく必要があるからだ(持論)。つまるところ綿密に計算された設計図に沿って、寸分の狂いもなく緞帳が閉まるまで着実にこなしていくのがお芝居である(超持論)。お客にここで疑問を持たせ、あそこで伏線をはってラスト手前で回収、最後に笑いのある涙を展開して、、、みたいな感情バイオリズムを脚本家を中心に論理展開していくのだろう。これは言い換えると即興の入る余地がない(厳密にはあまりない)ということになる。なぜそうなるかと言うと、複数人によってその舞台を作り上げていかなければならないからで、ひとりの予定調和を乱す行為(悪い意味ではなく)に対して他者がそれに対応しつつ、軌道修正をしていかなければならない。当然、各演者の脳内タイムラインに影響してくるわけで、容易く道を外れていくことはできないのだろう。そういう意味で、今回見に言ったアザラシ団の皆様のパフォーマンスは素晴らしくて、しっかりと計算された楽譜にぴったりと呼吸を合わせつつもフィルを入れていく手数の多さにある種の感動を覚えた。
これを自分に置き換えたときに、弾き語りのステージ、ひとりの舞台を作り上げていく上で、即興力というものは当然必要になってくるだろう。しかし忘れてならないことは、ステージに上がってから緞帳がおりるまでが一つの曲線で描かれているということだ。会場の感情バイオリズム(書きながらこれ気に入った)を操縦していくためにも、設計図をしっかりと組み立てていくことは重要である。もしかしたら即興に見せる仕掛けも設計図に盛り込むべきなのかもしれない、そしてその全体構成を凌駕する感情エネルギーを生み出すものが本当の意味での即興なのだろうと思う。
さて、少し話が変わってしまうが、その力(即興筋)を鍛えていくのに最も効果的なのがフリートークであると、常々そう思っていたが今回の舞台でそれを思い知らされた。
3つのお話の合間合間に、メンバー紹介をかねたフリートーク、といっても脚本家のナビゲーターの方のお題(例えば「クリスマスの思い出は?」)に対して演者が答えていくというものがあった。大喜利的なわかりやすい「フリ」「オチ」「フォロー」の展開であるが、なかなか厳しいものがあった。最もフォローの部分が気になるところで、おさまりいい終わり方をしているものはほとんどなかったように思う。お笑いだけに限らず、フリ(話のお題)の段階で、どういうフォロー(つっこみ)になっていくか想像をしてオチ(ぼけ)を投げ込む必要がある、一連の作法みたいなものだと僕は考えていて、そこが弱いと一瞬で客が演者をなめてしまうような気がしてならない。「ここは話がまとまってないけど、なんかスベリ芸っぽいし笑っておこう」「なんかよくわかんないけど拍手しておこう」と、客に思われてしまった瞬間に立場は逆転し、なんだか演者が客に介護されたような感覚に陥る。ステージの上から精神的なエネルギーを放出して感情の揺さぶりをもたらしていく側として、気をつけなければいけない。

さあ、収集がつかなくなってしまったのでおひらきにしよう

長文乱文で大変恐縮だけど、僕は今回の舞台でとても学ぶことが多かったし何よりもくそ笑ってちょっと泣けたのですごく楽しんでいたということは、改めて言っておきたいです。(気分悪くさせてしまったらごめんなさい)
東京アザラシ団の皆さん本当にありがとうございました。超楽しかったです
辺見ちゃんおつかれさま。